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2015.09.18

TOMATO畑のスタート地点 安全食器誕生の理由

 

なぜ私たちTOMATO畑は安全な食器作りを始めたのか?現在まで数多くのメディアの皆様や各団体様、企業様に色々なシーンでご紹介を頂いておりますが、その中の1つとしてダイヤモンド社さんがご取材してくださったKDDIさんの冊子“Time&Space”の記事が私たちのスタート地点を分かりやすくご取材記事で公開して下さいましたので、ここに転載させて頂きます。

 

私たちのもの作りの原点、スタート地点を知って頂ければ、なぜ安全な食器を作り続けているのか、目指すゴールもご理解頂ける。

 

そう思って日々活動しています。その他のメディア様ご取材記事等は メディア掲載実績 をご覧下さい。毎月のように全て無償で各方面の皆様にご取材頂いています。

 

そして現在まで、木製食器メーカーでは異色といえる関係の皆様に活動をご支援頂いています。

・マクロビオティック自然食の各団体様や取扱店様

・統合医療関係の皆様

・漢方等の薬局薬店様

・助産院の皆様

・シュタイナー自然学校等の学校関係の皆様

・特別老人ホーム等の介護施設の皆様

・NHKさん含め各メディアの皆様

・スパ施設やレストラン&カフェの皆様

・製作意図を取り上げてくださる雑貨店の皆様

 

上記はほんの一例です。TOMATO畑食器の取扱店一覧をご覧頂ければ一目瞭然。(取扱店一覧ページはこちらからご覧頂けます

木製食器メーカーでイメージされる方向とは全く違う取扱店様ばかり。これこそ安全という価値観に、安全に厳しい各団体様がご支援をして下さっている証です。


 

「家族のため」がスタート地点  安全性を追求した木の食器
取材・文 ・小野蓉子
写真提供 ・TomatoBatake

 

手になじむ温かいフォルムと口につけたときの優しい感触。試行錯誤を重ね、安全性の高さだけでなく、美しさと機能性も兼ね備えた木の食器が、食に安心・安全を求める人々の間で注目を集めている。1人の職人とその家族の、想いを込めたもの作りを取材した。

 

テーブルの上は安全ですか? 

木をくりぬいて作られたお椀や皿、箸やスプーン、フォークにトレイ。子ども用のかわいらしいひと揃いもある。といっても伝統的な工芸品ではない。カジュアルなお椀は、手にもしっくりと収まり、大きく傾けなくても最後の一滴まで飲める。この機能美を育て上げたのは、 TomatoBatake(トマトバタケ)代表の田中栄二さん。目指すのは「安全で手頃な価格の食器」という。木の器は、木をくりぬいて整形し、乾燥させて下塗りを施し、研磨した上に漆や塗料を何度も塗り重ね、多くの工程を経て仕上げられる。素材は木材、すなわち有機物である。管理が悪ければカビや腐食を招く。そこでトマトバタケでは、荒削りした木材を巨大なプールで 24 時間煮沸消毒し、カビや腐敗のもとになる物質を除去。さらに1年以上かけて自然乾燥し、その間に変形や割れたものを取り除く。木材には、クリやカエデ、ナツメなど食用となる樹種を用い、塗料の漆まで自分たちで樹液を採取して作る徹底ぶり。着色の必要があれば、赤土の弁柄、松、棕櫚やクチナシの花など天然の素材を使う。安全性にとことんこだわる姿勢が、食の安全に気を使う消費者を引きつけ、海外からも注文があるという。とはいえ、手間も時間もかかるこの器作り。どうやって「手頃な価格」を実現できたのだろうか。

 

信頼が育んだ高品質は「メイド・イン・チャイナ」

トマトバタケの製品はすべて、中国にある工場で、中国人スタッフによって手作りされている。横浜市にある本社事務所を訪ねると、「話し下手な父の代わりに」と、田中さんの長男で営業を担当する秀樹さんが応対してくれた。「誤解を恐れずに言えば」と最初に説明してくれたのは、価格だけでなく、安全性もまた中国製だからこそ実現したという興味深い事実だった。田中さんは 20 代のころ、もの作りに取り組みたいと、生まれ育った小田原で漆器工房の修業生活に飛び込んだ。そして30代には自分の工房を構え、伝統工芸の技術を国内外に指導するまでになる。安全な器作りを真剣に考えるようになったのは、20年ほど前、妻が末期がんと診断されたときのことだ。過酷な抗がん剤治療より、家族と過ごす時間を選んだ妻。そのとき友人が薦めてくれたのが、安心できるものだけを食べる食事療法だった。 3 年が過ぎ、6 年が経ち、やがてがん細胞は消えていた。もって3年と言われた田中さんの妻は、今も健在だ。安全な食によって妻が救われた。それが、自分の作る器に目を向けさせたのである。原料となる木材も塗料も、製作工程における防カビ、防腐や漂白などの薬剤処理にしても、安全性を疑わざるを得ないものも流通しているのが現状だ。たとえ安全でも、家族が闘病中でも買える価格でなければ意味がない。田中さんの模索が始まった。まずは材料となる木材。人工林では農薬や化学肥料が気にかかる。数百年にわたり自然のままの原生林なら理想的だが……。見回すと、中国では原生林の計画伐採が推し進められており、器にぴったりの細い樹木もみつけた。まさに宝の山だった。田中さんは工房をたたみ、中国に渡った。中国語も全くできないまま、現地の林業局長に何度も掛け合い、原生林の伐採木を仕入れる許可証を手にした。日本人には決して楽な環境ではなかったが、田中さんは中国・福建省で職人育成を始めた。私財を投げ打って給料を支払い、いつしか現地の職人と流暢な中国語で語り合うほど溶け込んだ。子どもの名付け親になったこともある。中国が経済大国に発展した今も、田中さんの元を離れた職人は一人もいないという。生産拠点を中国においた結果、全行程を目の届く範囲で完結できるようになった。試行錯誤の中で、現在の工程が練り上げられた。塗料には、あえてポリウレタン塗料を使ったものもある。もちろん厳しい安全基準をクリアし、検査でも、食器からの溶出値が天然水よりも低いことが確認されている。イメージに惑わされず、安全性が高ければ採用するのが田中さんの考えだ。

 

父子の大きな転機

一方、工場にすべてを注ぎ込んだ田中家の台所事情は火の車。高校生だった長男の秀樹さんは進学をあきらめた。貧しい職人の父とは違う人生を求めて、大手企業でのキャリアを志望。生産現場の人々にもふれるうち、もの作りの世界を経営のプロとして支えていきたいとコンサルティング会社に転職した。やりがいのある仕事に満足していたころ、中国・福建省を訪れる機会が訪れる。 3日間の休みをとり、父の工場を見学。そこで衝撃を受けた。「プロの経営コンサルタントの目で見ても、こんなにもハートでつながっている事業は見たことがなかったんです」田中さんはそれまで、自分の仕事について一言も息子に語っていなかった。だから、秀樹さんは父のことを、工房も家も失い、学費も出せず、利益も上がらない会社の経営者としか見ていなかったのだ。安全だ安心だと採算を度外視した経営では、いつ倒産してもおかしくない。田中さんは言ったという。「もう、おまえたちも大きくなったしな」子どもたちは、大人になった。だから、もういつやめていいのだと。そこで初めて秀樹さんは、毎年正月になると、父が食器を送ってくる理由を知った。家族に安全なものを届けたい。田中さんを突き動かしてきた想いは、それだけ。その家族とはほかならない、自分だったのだ。秀樹さんは涙が止まらなかった。帰国した秀樹さんはすぐ会社に退職届を提出し、父を手伝い始めた。それから 3年、父子の事業は少しずつ軌道に乗り始めている。偏見も妥協もなく、ひたすら安全性と品質を高めていく。その想いが人を動かし、縁をつないでいく。トマトバタケのあり方は、未来のもの作りの原型となってくれるだろうか。

 

各工程や職人の手作り道具もご紹介して下さっています。

各工程を経て完成した製品もご紹介して下さっています。

 

現在、当記事はKDDIさんの公式サイト上からは期限切れで閲覧が出来ませんので、TOMATO畑の自己紹介も兼ねて、この場で改めてご紹介させて頂きました。日々本当に多くの皆様、メディアの皆様だけではなく、ご家庭でご愛用頂ける皆様のブログ等でもそうですが、掛け値なしに無償でご紹介を頂いております。皆様のご支援にお応えできるもの作りに今後も邁進致します。